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お気軽中山道うぉーく

( 浦和 〜 大宮 )

2008-01-10

 


浦和駅の反対側は県庁をはじめ、裁判所や法務局など埼玉県の行政・司法の中心地です。
このあたりは浦和宿の中心地でもあり、歩道にはいろいろな演出がされています。

そんな歩道をきょろきょろしながら歩いていると、すぐに玉蔵院という立派なお寺がありましたが、朝早いので門は閉まってました。





高層ホテルを過ぎ、左に曲がるとすぐに小さな公園があり、そこが本陣跡だそうです。
明治天皇も立ち寄ったらしいですが、表通りに接しておらず、そばで寝ていた浮浪者が印象的でした。

徳川家康が鷹狩に利用したとされる常盤公園に曲がる道の角に、おばちゃんが手前にかぼちゃを置いて手に大根(?)を持っている像があります。
その脇に「市場通り」と記された案内板があり、農民による野菜の販売風景らしいです。





すぐ北の慈悲稲荷には二・七市場跡の碑があります。
1ヶ月の2と7がつく日に市が行われたそうです。

京浜東北線を超えると北浦和の市街地です。
Jリーグの浦和レッズの本拠地らしく、フラッグやらオブジェがそこら中にあります。

この辺は道に迷うことも無く、ひたすら中山道を真っすぐに歩きます。

北浦和駅から1キロメートルあたりに一本杉の石碑があり、傍らに若い杉が立っています。
昔、ここで讃岐丸亀藩の浪人が仇討ちにあったとされていますが、この杉とどう関係があるのかは不明です。
また石碑は車道側に文字が刻まれているので、歩道を歩いていると注意しないと間違いなく見過ごしてしまいます。





600メートル程進むと与野駅入口の交差点です。
そこに大きなケヤキの古木があり、一里塚と一里塚の間にあった半里塚の跡だそうです。


高層ビルが見えてくるとさいたま新都心です。
ケヤキ並木を進むと新都心のシンボル的存在のさいたまスーパーアリーナが見えます。





ケヤキ並木のなかほどにはお女郎地蔵と火の玉不動が小さな屋根の下に並んでいます。
このあたりに伝わる不幸な女郎姉妹にちなんだものだそうです。

更に進むといよいよ大宮宿です。
大宮はその文字のとおり、武蔵国一の宮である氷川神社がある宿場です。
表参道が中山道の古道だそうで、かなり立派なケヤキ並木が続きます。

駅前の高島屋百貨店がある場所が本陣跡だそうです。
残念ながらそれを示す碑やら案内板は見当たりませんでした。





ここに限らず大宮は全体的に中山道をイメージさせる演出なり案内板はほとんど無いようです。

氷川神社入口より高島屋まで、ほとんど旧道らしさは無いので、中山道とほぼ平行に進む氷川神社参道を歩く方が数倍歴史を感じることが出来ます。
ただ氷川神社まで行ってしまうと本陣跡である高島屋まで戻るのは結構な距離を歩かなければならないという欠点もあるのですが。
街道歩きに本陣跡は欠かせないですからね。