去年再開した東海道うぉーくにまたまた行ってきました。
今回の目標は吉田宿(豊橋)から岡崎に一泊して知立までは最低でも到達することです。
早朝、地元埼玉の駅を始発で出発。
豊橋には朝8時に着きました。
前回ここまで来たのは、なんと約15年前です。
まずは現在の豊橋市街地吉田宿中心地へ直行。
本陣跡、脇本陣跡、問屋場跡、などの宿場ならではの碑が並んでいます。
この案内が無ければ、今では全く普通の街並みです。
数百メートル歩くと交差点にいかにも不自然に建った、小さいながらも重々しい西惣総門があります。
ここに番所があったそうです。
船町と高札場の案内がある、豊川に架かる豊橋までは、曲がり角が多いですが「東海道」の道標が整備されているので迷わず進めます。
ところが豊橋を渡りきった後は、私が見逃してしまっただけなのか道標が少なくなった気がします。
案の定、旧東海道と平行に走っている国道1号線をしばらく歩いてしまいました。
このあたりは旧東海道と1号線は重なっていると疑いもせず歩道橋の上から1号線をパチリ。
5分位歩いていると、持っていた地図上ではあるはずの郵便局やら常夜灯?が見あたらず、ひょっとしたら間違ったかなと思いつつも進んでいくと、右手にあるはずの瓜郷遺跡が左手にありました。
完全に間違ったのですが引き返すのは止めて、弥生時代の集落跡であるらしい瓜郷遺跡をチラッと見た後、本来の東海道に戻りました。
しばらく歩くと豊橋魚市場なる大きな魚市場が表れ、お客さんがたくさん来てました。
時間が有れば寄って行きたかったですが、ここは前に前に。
また少し歩くと右側に子だか橋なる碑と案内板があります。
一千年くらい前にはお祭りの初日にこの街道を最初に通る若い女性を生贄にする習慣があったそうです。
ある年、生贄にしようとした女性がわが子であったにもかかわらず、悩んだ末に生贄にして神に祭ったそうです。
恐ろしくも悲しい話らしいが、そもそもこれはただヒドイ話なだけではないかと思ってしまうのは私だけ?
JR飯田線を横切り、所々に松が残る旧街道らしい道を進むと伊奈村立場茶屋跡の碑が建っています。
ここは吉田宿と御油宿の中間に茶屋があった場所らしい。
伊奈一里塚跡には新しそうな碑があります。
それにしても天気が良すぎて熱中症になってはまずいと、平行に通っている国道1号線にあるユニクロで帽子を買うことに。
その国道1号線にまとわりつくように、右に行ったり左に行ったりしながら旧街道は進むが、時折田んぼのそばの砂利道になったりします。
ここが本当に旧街道なのかどうかは疑問ですが、私が頼りにしている案内書にはそう書いてあります。
この辺は特に特徴のない道が続くが、街道らしさを示す秋葉山常夜灯があちこちにあります。
御油宿に入ると高札場、そして本陣跡に案内板があります。
このあたり、なかなか旧街道らしい雰囲気を持った街並みです。
少しして「これぞ旧東海道。」と言いたくなるような松並木が表れます。
国の天然記念物「御油の松並木」です。
御油宿から次の赤坂宿までは1.7kmしかなく、東海道では一番短い宿場間です。
したがって短い区間に陣屋跡、高札場跡、松並木など見どころ盛りだくさんであり、街道ウォーカーにはうれしい所です。
その中でも旅籠大橋屋は今でも貫禄があり、今でも旅館として営業しているとのこと。素晴らしい。
長沢一里塚を過ぎるあたりの小高い山のそばを通る街道風景は、なんとなく昔の浮世絵に出てきそうで、とても素朴ですが江戸時代を想像させてくれる好きな構図です。
|