沼津へ
 お気軽東海道うぉーくトップへ          箱根へ




松ぼっくり 東海道ウォーク 三島−沼津 松ぼっくり


広重東海道
広重東海道
(三島ー朝霧)
 早朝、箱根に向かう籠と馬に乗った旅人を描く。
 中央の旅人は色付きだが、三島大社の鳥居を含め背景は霧に包まれシルエットのみ描かれている。このような構図も芸術的なのだろうが、私の趣味としては鳥居を強調したダイナミックな絵を期待してしまう。

三島・沼津地図

 三島といえば三島大社。普通の人にはこれしかないといったくらい有名。この三島から沼津までは5kmほどしかない。しかし名所、旧跡も多く、また特に古い建物が多いわけではないが旧街道の雰囲気のある道が続く。

三島大社 たたり石 樋口本陣跡

 東海道に面して宿場の真中にある三島大社(写真左)は伊豆の一ノ宮である。宝物館や樹齢千年の金木犀など興味深いものが多いが、ユニークなのは「たたり石」(写真中)だ。以前は東海道の中央にあり行き交う人の流れを整理する役目であり、「たたり」とは整理するとの意味だった。後に往来が頻繁になり、この石を取り除こうとするたびに災いが生じた。ここから「たたり」が現在の使われ方になったとのこと。

 宿場の中心は現在の商店街とほぼ同じ場所。樋口本陣跡(写真右)などには簡単ではあるが説明板が立っている。


時の鐘 一里塚

 伊豆箱根鉄道広小路駅すぐ手前に時の鐘(写真左)がある。昭和30年頃まで朝夕6時についていたそうだ。現在は大晦日に大勢の人がつきに来る。

 市街地のはずれにガイドブックには大きく取り上げられている千貫樋がある。戦国時代に作られたもので、国や領土が異なるのに水の豊富な伊豆の水を駿河へ送って、田畑の灌漑に利用した樋として有名である。ただ実を言うと私はどんなものだったかあまり記憶に残ってないのである。なにか「あぁ、これが千貫樋か。たいしたことないや。」とあまり興味が湧かなかったような気がする。

 市街地を抜け、住宅街に入っていくとなかなか重厚な感じがする家並みが続く(写真中)。このあたりの家の庭には、お地蔵さん(らしきもの)がある家が多い気がする。どうしてだろう。

 清水町伏見では左右に一里塚。左が宝池寺内で新たに復元、右が玉井寺内で原型(写真右)。宝池寺内のはあまりにきれい過ぎて昔の物っぽくない。


対面石 松並木 平作地蔵

 長沢八幡宮内に頼朝・義経対面石(写真左)なる物がある。頼朝挙兵の際、義経が奥州より駆けつけ、この石に腰掛けながら涙の対面をしたとのこと。

 その先長沢に残る松並木(写真中)を見ながら進むと、黄瀬川を渡り沼津市内へと入っていく。

 狩野川と平行に歩くようになり1kmほどの所に平作地蔵(写真右)がある。平作とは物語の主人公らしい。

 ここで地元のおじちゃんに声をかれられた。私を東海道ウォーカーと見破ってのことだが、「狩野川の何処何処に行けば広重の描いた沼津と同じ光景が見える。」とか「歴史が好きなんだねえ。」だのと一方的に話し掛けてくる。いろいろ教えてくれるのはうれしいが、ほんとの事言うと私は歴史はあまり好きではない。でも「歴史は好きじゃないけど東海道は好きだよ。」などと説明しても始まらないので愛想良く聞いていた。あのおじちゃん元気かな?


玉砥石  平作地蔵のすぐ先に一里塚と玉砥石(写真左)がある。玉砥石とは千二ー三百年前、玉類を磨くのにもちいた石だ。

 当時は狩野川淵を歩いたのだろうが、今は堤防があり川が見えない。ちょっと堤防に登って狩野川を見たりしながら進むと沼津宿中心となる。