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松ぼっくり 東海道ウォーク 日本橋−品川 松ぼっくり


広重東海道
広重東海道 
(日本橋ー朝之景)
 手前に大きく開かれた大木戸。その向うに日本橋を渡る大名行列の朝立ちを描く。行列の前には6名の仕入れを済ませた魚屋が行列に道を譲っている。その表情は何かしら面倒くさそうに思える。
 



日本橋・品川地図



 東京駅に降りる。この辺りは**橋が多く、またビルが並んでいるため日本橋を探すのにも一苦労する。
 やっと探した日本橋に立つと「さあ、これから東海道」との思いが涌き出る。しかし、昔の人も実際は日本橋からスタートしたわけではなく、旅は自宅から出発しただろうから日本橋はあくまで通過点のひとつでしかなかっただろう。
 まあそうは言っても、現在の東海道ウォークを楽しむには東京駅まで電車で行き、ちょっと歩いて日本橋からスタートが一般的である。

 品川までの区間では銀座がメインになる。弥次さん、喜多さんになりきり江戸時代の東海道を歩いている気分になってビルの谷間を進む。
 また当時は品川宿までは海沿いの道で広重の保永堂版の品川宿でも海が描かれている。



日本橋 日本橋唐獅子 江戸歌舞伎発祥地

 いよいよ日本橋(写真左)。真中に写る橋のようなものは首都高速。その下の自動車が走っているところが日本橋である。
 当たり前だが安藤広重の描く日本橋とは全く違うものの、橋の両脇には唐獅子(写真中)や洋灯などがあり普通の橋ではないことを漂わせている。ちなみに今ある橋は明治44年完成したものだ。橋の真中には日本国道元標がある。ここが国道の起点である。
 そして乙姫様をかたどった日本橋魚市場発祥の地碑が橋手前左に。江戸時代からここに魚市場があったからだ。広重の保永堂版や行書版にも魚屋が描かれている。
 
 いざ出発と景気よく行きたいところだがまず1歩目をどっちの方向に踏み出せば良いのかがよく分からないのだ。地図と現場の風景をよく照らし合わせやや不安ながらも出発。まずは江戸歌舞伎発祥の地碑(写真右)、京橋が見つかれば間違いなく東海道だ。江戸歌舞伎発祥の地は中村勘三郎が寛永元年(1624年)初めて歌舞伎の興行をした地だそうだ。
 


銀座 勝・西郷会見地 高輪大木戸

 写真左にある松坂屋・三越などの百貨店・聞いたことがあるような名の高級専門店などを横目に、銀ブラ+東海道ウォークを実行する。
 銀座といえば現在では高級商店街をイメージするが、本来は銀貨鋳造役所を銀座と呼んだ。
 
 JR東海道本線を過ぎるとビジネスマンだらけとなる。特に朝9時前にこの辺を歩いたので、カメラ片手にリュックをかつぎ、スニーカーを履いて歩いている私は浮いていた。
 しばらく進み、三菱自動車ビル前に西郷隆盛・勝海舟会見碑がある。ここで写真を一枚パチリ(写真中)。同年代のサラリーマン達がこれから仕事というのに観光気分で写真を撮ろうとしているのだ。ちょっと人の目が気になった。

 高輪大木戸跡(写真右)を通り過ぎ品川駅前に。仕事で何回か来たことがあったが、ここが旧東海道だとはぜんぜん知らなかった。


八つ山橋  JR品川駅を少し過ぎた所に八ッ山橋。渡ると明治8年に作られた八ッ山橋の親柱。
 ここからは庶民的というか普通の商店街・住宅地になっていく。 
 そして最初の宿場町品川宿へ続く。