⑥三柱神社(みはしらじんじゃ)


所在地 祇園13付近


地元では「市場の荒神様(こうじんさま)」と呼ばれている。それは、市場の大野家が所有していたことからであるが、養蚕が盛んな時代は蚕神(かいこがみ)として近郷近在に知られており、5月1日の縁日には養蚕農家の参拝で大変な賑わいを見せたという。

古老の話では、延享年間(1744~48)に加藤清正の末裔と称する加藤太郎左衛門が三宝荒神を合祀(ごうし)したと伝えられており、地元では「荒神様」として親しまれてきた。 
祭神は天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高皇産霊神(たかみむすひのかみ)、神皇産霊神(かみむすひのかみ)である。

御神体は砂岩自然石であり、男性器をかたどった生産神の象徴である。これは、古い神社信仰の原形である。

明治時代から昭和30年代頃にかけて養蚕が盛んだった頃は信者が多く、5月1日の例大祭には約5千枚の「開運火防(かいうんひぶせ)」、「養蚕ネズミ札」という御札が配られ、養蚕に必要な道具を売る市が立った。
拓植(つげ)の枝に白と黄色の団子4・5個を刺したものが売られた。繭の豊作を願い、病気に効く縁起物として多くの人に買い求められたという。
 
*狭山市内の養蚕農家の間では、蚕室で炭火を使う関係から、火の神であり竈(かまど)の神である「荒神様」を火防せ(ひぶせ)として、また、蚕の神である「おしらさま」はネズミ退治をしてくれるということで信仰された。