これから原馬室一里塚に立ち寄る街道ウォーカーもいるでしょうから、場所を細かく書いておきます。
まず北本駅から鴻巣方面に歩き、ステーキのドンがある2つ目の信号を左折します。
すぐに高崎線の踏切を渡り、線路沿いに右折します。
小田急マンションを左手に見ながら200メートル程進むと左側に畑が現れ、同時に一里塚の案内が現れます。
この一里塚は街道の両側にあった塚の西側にあったもので東側の塚は現在の高崎線が通っている場所にあったそうです。
鴻巣市に入ると所々に中山道の案内が刻まれた黒光りする石碑が現れます。
最初の石碑は「鴻巣宿加宿上谷新田」と表示されてました。
加宿とは大きな宿場の補佐をする小さな宿場のことで、このあたりが鴻巣宿の加宿であったのでしょう。
鴻巣市は人形の町としても有名です。
トイレの男女のマークも雛人形でした。
400年程前に京都の伏見人形の人形師が住みついたのが始まりだそうです。
中山道沿いにも大きな人形店が並びます。
雛人形って綺麗な顔をしていて癒される人形が多いですよね。
「是よりこうのす宿」との黒光りする石碑があり鴻巣宿に入ります。
間もなく左手に関東十八壇林のひとつである勝願寺の門が見えます。
ここは少し前に一度来ているのと、広い境内なので時間の都合でちらっと見ただけで先に進みました。
中山道左側歩道に、本陣跡と刻まれた例の黒光りする石碑があります。
目の前の建物はシャッターが閉まっていて、なにやら普通のビルらしかったですが、道路向かいに古そうな貫禄ある建物がありました。
旧家か何かなんでしょうか。
鴻巣駅を過ぎると、土蔵造りなど数件のいかにも旧街道らしい建物があります。
このあたりは問屋場があった場所だそうです。
そのすぐ向かいが鴻巣市の地名由来となったコウノトリ伝説がある鴻神社です。
コウノトリの伝説がある地域なんてロマンティックで、地元の人にとってはプチ自慢できそうですね。
しばらく歩いて第三中山道踏切を渡り、高崎線の西側を歩くことになります。
武蔵水路は東京オリンピックの年に完成した水路で、利根川から荒川に水を供給しています。
しばらく淡々と歩いていると、右側に小さな塚があり一番上に一枚の石に掘られた六地蔵がありました。
六地蔵はそれなりの数を見ていますが、お寺以外でこの手の種類のこれだけ立派な物はなかなかありません。
更に進むと一里塚跡の碑が立っていました。
実は中山道を歩くにあたって調べた資料を見落としたのか、吹上に一里塚跡があるとは知らなかったので、ふいと現れた一里塚跡にちょっと嬉しかったりしました。
このあたりは旧道がどこなのかはっきりしないため、Y字路交差点があると、持ってきた資料を確認しながら進みます。