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お気軽東海道うぉーく

(内部〜石薬師宿〜庄野宿〜亀山宿〜関宿)



さて、約500kmの東海道徒歩旅行も今回で終わりの予定です。

1997年に歩き始め、途中14年間の空白があり、結局2014年まで18年間かかりました。
しかも最後は京都三条大橋で終わるのではなく、途中抜けている三重県石薬師宿〜関宿間で終わる予定です。

あと25kmは一日で歩ける距離です。
今回は近鉄内部線の終点、内部よりスタートしました。

出発間もなく急坂で知られた杖衝坂(つえつきさか)に差し掛かります。

芭蕉が、江戸より伊賀に帰る途中、馬に乗ってこの坂を登ろうとしたとき、あまりの急坂で落馬したということです。

当時は道が整備されていなかったからだと思いますが、現在は歩きやすく短いので難なく越えられます。

あまり特徴のない旧道を進むと、石薬師宿に入ります。

小澤本陣跡の碑が建つ民家(?)
石薬師文庫なる建物があり、佐佐木信綱が還暦にあたり旧石薬師村に寄贈したものであるとか。

よくわかりませんが、この周辺には佐佐木信綱という人の関係した建物や看板等がたくさんあります。
この地域出身の歌人みたいです。

石薬師の一里塚。周りにこれと言った木が無いので、けっこう目立ちます。

庄野宿資料館となっている旧小林家の建物。すぐに問屋場跡、本陣跡、高札場跡が地味にあります。

中富田一里塚があったとされる所。

東海道とは関係があるのかないのか、いずれにせよちょっと雰囲気のある建物を発見。和泉町公民館です。

亀山宿に入ると屋号札が掲げられている家が多くなります。

ほとんどの家に掲げられているところを見ると、昔と今の家ごとの境界線はあまり変わっていないのでしょうか。

商店街の途中に亀山宿樋口本陣跡の看板が無造作に立っています。

四日市から亀山宿の間は、あまり旧街道らしさを感じませんでしたが、関宿が近づくに連れ雰囲気が出てきます。

見事な野村一里塚。この椋の木は樹齢400年だそうです。

鈴鹿川を渡る東名阪自動車道と古い一般道の橋。
ここを過ぎると間もなく関宿。

ここでついに東海道53次終了。

東海道を歩き切ったら、少しは達成感なり喜びなりがあるのかと予想してました。

ところが疲れと暑さで、最後の方は何故か無性にアイスの「ガリガリ君」が食べたくなり、ずっと店を探しながら歩きました。

でも結局、関宿でも見つからず東海道徒歩旅行を終了。

直後には歩き切った達成感より、「ガリガリ君」を食べれなかった残念さが上回ってしまいました。

でも、帰りの電車の中では、今迄の日本橋から京都まで歩いた記憶がよみがえると同時に、今度は江戸五街道制覇に挑戦しようと決めました。

やめられませんね、街道歩き。。。