東海道ウォーク | 小田原ー箱根(畑宿) |
広重東海道 (小田原ー酒匂川) |
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酒匂川の渡しを描く。向こう側に箱根の山と小田原城が見える。 酒匂川は3−9月が歩いて渡り、10−2月には仮橋となった。 金谷での大井川の渡しの構図とよく似ている。 |
さあ、箱根の山越えに出発。流石に期待が大きく膨らむ。旧道の石畳は既に金谷で経験済みだが、やはり箱根のそれは知らぬ人がいないほどの代物。更に関所・杉並木とくれば東海道ウォーカーにとってはお目々ギラギラ・心臓ドキドキである。 ただ、旧道らしくなるのは三枚橋からで、ここまで結構な距離があり、期待に胸膨らませているだけに非常に長く感じる。 |
小田原駅を約1km南下して東海道に合流。本町には旧(脇)本陣の古清水旅館(写真左)をはじめ歴史がありそうな旅館が多い。 大通り右側にういろう(写真中)が現れる。歌舞伎18番の「外郎売」で有名らしい。私は2度この前を歩いているが、朝早かった為営業前であり中に入ったことが無い。 小田原は町の標識や雰囲気から宿場町よりは城下町のイメージが強い。その為もあるのだろうか、東海道本線を渡る前後は城に近いためやや分かりづらく、地図をよく見ながら進むことになる。 ここから箱根湯本までは登山鉄道と仲良く並んで歩く。箱根湯本は小田急線の終点であり、ここまで電車で来て箱根宿を目指す人も多いだろう。三枚橋(写真右)を渡り、さあ本格的に箱根の山に挑戦だ。 |
それほど急ではないが継続的な坂(写真左)が続く。曽我兄弟に関係する正眼寺・生家を過ぎると22番目の一里塚(写真中)がある。この碑には箱根街道一里塚とある。写真を見て気になってしまうのだが、どうして消火器がここにあるのだろうか(右下に写っている)。 少し進むといよいよ初の石畳(写真右)に差し掛かる。2−3百メートルだが急に山の中の道になったようで江戸時代を演出している。ただ石畳自体はちょっと綺麗過ぎて、公園の遊歩道を歩いている感じもしてしまう。箱根観音の近くで元の道と合流する。 |
だんだんと坂も急になりそれぞれに名前がついていたりする。「女転シ坂」とは乗馬の女性が転落したことから付いた名前だそうだ。ユニークな名をつけたものだ。 続いて割石坂(写真左)。ここは石が転がって割れるほど急な坂との意味だろうか。写真の碑には「割石坂登り1町余」とある。かなり急で、かつ古い石畳である。明治時代の石畳もあるが、江戸時代の物は親切にも「江戸時代の石畳」と表示してある(写真中)。ここから畑宿まで1kmである。 写真右は新道から旧道への入口である。碑が立っているところより下る。こんな道行って良いのだろうかと疑ってしまうような道だ。 |
写真のような道をしばらく歩く。ただ現在の木はまだ若く、江戸時代の物ではないことは明らか。よって当時は雰囲気も違ったのだろうが、それにしてもこの道を大名行列が通ったとは信じられない。 |