東海道ウォーク | 品川−川崎 |
広重東海道 (品川ー日之出) |
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八つ山下の東海道を行く大名行列の最後尾を描く。 朝早くの風景であるが、棒鼻そばの茶店は既に開いている。 すぐ近くに見える海は、現在は埋め立てられ1.5kmも離れてしまっている。 |
江戸からもやや離れ人との別れを感じさせる区間。東海道うぉーくのうきうき気分も足の疲れで薄くなってくる頃だ。 当時のお見送りもこの辺までが多かったそうだ。鈴ヶ森刑場で処刑される罪人の家族の見送りも泪橋までだった。 鈴ヶ森刑場跡より多摩川までは単調で、もくもくと川崎目指して歩くことになる。またこの区間ずっと京浜急行が平行して走っており、疲れて途中で引き返すには都合がよい区間でもある。 |
品川宿本陣跡(写真左中)は小さな公園になっていた。ここの商店街は古い建物が多く残っているわけではないのに、東海道の臭いがするのはどうしてだろう。日本橋からこの辺迄来ると、ビルの谷間を歩くのとは違いやっと江戸を思い浮かべられる道になるからだろうか。 写真右の目黒川にかかる品川橋が東海道を演出している。東海道ウォークをする者にとっては、最近作られたものであれこのような演出が嬉しいのだ。 それにしても品川宿もそうだが東海道全般に神社、寺等が多い。お地蔵さん、馬頭観音、庚申塔、道祖神等もいたるところにある。これらを一まとめにするのは本来いけないのだろう。しかし、現代版お気軽東海道ウォーカーにはこれらは当時を創造させる代物である。と同時にこれらの背景を考えると、昔の旅の大変さが理解できる。 |
第一京浜との合流点に鈴ヶ森刑場跡(写真左)がある。大きな髭題目の碑が印象的だ。 詳しく調べたわけではないが現代でも捜査ミスがあるのに、当時は冤罪で死刑になった人も多いのではないかと思う。 蒲田の梅屋敷を過ぎ、しばらくすると六郷橋(写真中)に着く。今の多摩川を六郷川と呼んだ。大きな川である。広重が描く川崎でその舟渡しを描いている。もとは橋があり瀬田、矢作、吉田と共に東海道の4大橋の一つであったが、洪水で流され元禄2年以降は舟渡しとなった。 橋を渡るとすぐに川崎宿になる。 |